前回の市民の集いの質問について①

7/25(日)に開催した「第26回奈良からつながる市民の集い」で久保さんにあてた質問について、丁寧に回答をいただきました。
長文ですので何回かに分けて、紹介させていただきます。以下です。
他にも当会の事業について、公式ラインでも紹介していますので良ければ登録をお願いします。
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はじめに
話がまとまらず長くなってしまい、ご質問の時間やそれに答える時間がなくなってしまったことをお詫びします。また、頂いた質問用紙へのお返事も大変遅くなり申し訳ありません。
 全てのご質問へのお答えにはなっていないと思いますが、何点かにまとめてお返事させていただきたいと思います。
 
1 オンライン学習と対面学習について
 どんなにICT技術が進んでもオンライン学習に替えられない対面学習があると言いました。それには、まず、「学ぶ」とは何か、「学習」とは何かという根本的な学習の捉え方の問題があると思います。知識や技能を獲得するという狭い意味で「学習」と捉えた時、GIGAスクール構想で言われているように、ICTを使った学習の方が効率的に短時間で効果的な学習ができるようになるでしょう。しかも一人で。高校生が受験のために勉強するなら、それはとても都合がよいかもしれません。しかし、小学1年生の授業を思い浮かべてください。「あ」という文字を書くことは、単に「あ」という文字がうまく書けることだけで学習が成立したとは言えません。むしろ、それは2次的なことかもしれません。一人一人の子どもが書いている様子を私たち教師は見ています。「あ」が教科書の見本通りに書けなくても、子どもたちの学ぶ姿を丸ごと見ています。「あ」がうまく書けたかどうか評価することより、その子そのものを理解することを大事にしています。また、子ども同士も、友だちのことをしっかりとみています。そこに人間としての交流が生まれます。人に関心が持てない子どもやうまくコミュニケーションが取れない子どもも教室という空間の中で、身体で、五感で、何かを感じ取っていきます。子どもの頑張りを認め、目を見て「しっかりと書けたね」と微笑みながら、花丸をつける。それを見ていた周りの子どもたちも「いいね」「先生、私のも見て」などなど。いろいろなドラマが生まれます。その過程そのものが「学び」だとぼくは考えます。どんな成果があったんだと言われても、すぐに可視化ができないので、狭い学力観を疑わない人にはわかってもらえませんが。何かができるようになることは、学習の結果のほんの一部に過ぎないと、ぼくは考えています。
 どんなにオンライン学習の技術が上がっても、リアルな空間の肌触りを再現することはできないと思いますし、おそらく狭い学力観にとらわれた技術開発が進み、鶏を狭いゲージに入れて効率よく卵を産ませるのと似たことになるのではないかと思ってしまいます。
 ムダが許されない「効率化」は、本来の豊かな学びをむしろ阻害していくと考えています。
 

市民ひろば なら小草

各世代で貧困と格差の連鎖が進み、見過ごされがちな若者の学習や就労、高齢者の孤立・孤食の状況が見られます。私たちの地域にも寄り添い、支えあえる場が必要になっています。そのための学習事業、支援事業、イベント事業、などやっています。気軽に相談してください。

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